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60キロのうまみ

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ラーメンのためなら、60キロだって苦じゃない無性に食べたくなる瞬間がある。

夜中でも、疲れた日でも、その衝動は一切の都合を無視してやってくる。そして気づいたらキーを片手にヘルメットを被り、バイクにまたがっている。目的地は30キロ先。山岡家だ。

そんな人はいないと思うが、山岡家を知らない人のために言っておくと、とんでもなく豚骨くさいラーメンのチェーン店だ。おしゃれじゃない。内装に凝ってもいない。ただ24時間営業で、硬め・濃いめ・多めが選べる。それだけで自分にとっては、もう十分すぎる。

ラーメン好きの人間の中には、チェーン店を下に見る人がいる。「本当に旨いラーメンは個人店にある」と、どこか諭すような顔で言う人が。気持ちはわからなくもない。でも私はそういう話を聞くたびに、少し的外れだなと思ってしまう。旨いかどうかと、食べたいかどうかは、全然別の話だからだ。

山岡家が食べたい夜というのは、山岡家にしか対処できない。あの獣っぽい豚骨の匂い、硬めに茹でた麺の歯ごたえ、しょっぱいんだけど止まらない濃いめのスープ。その組み合わせの破壊力は、どれだけ格上のラーメンを差し出されても、そっちじゃないんだよなという感じになる。食べたいものと旨いものが一致するとは限らない。それが食欲の、ある意味で正直なところだと思う。だから30キロ走る。

ラーメンの為だけに、バイクで夜道を走っていると、頭の中が妙にクリアになる。信号や風の温度。考える余白がなくなって、ただ走ることだけになる。そして30キロ先のあの駐車場に滑り込んで、店に入り、カウンターに座って「硬め、濃いめ、多めで」と言う。食べ終わる。満足する。そして気づく。あ、また30キロ帰らないといけない。

この瞬間だけは毎回、少しだけ我に返る。満腹になった腹を抱えて、夜道を30キロ。往復60キロ、ラーメン一杯のための旅だ。冷静に考えると、なかなかおかしい。でもおかしいと気づいても、後悔は一切ない。それどころか帰り道は、行きとまた違う清々しさがある。満たされた人間の走りというのは、なぜかとても気持ちいい。

山岡家を食べるために走っているのか、走りたいから山岡家を口実にしているのか。往復60キロを走り終えた頃には、もうどちらでもいい気がしてくる。ただ確かなのは、近所にあったら絶対こうはなっていないだろう。5分で行けるラーメン屋に、人はわざわざ夜中にバイクで乗り込まない。30キロという距離が衝動を本物に変える。遠いから旨い。そして遠いから、帰り道もちゃんと旨い。

今夜も、なんとなくあの匂いが頭をよぎっている。

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