東京レスキュー 助人サービスはロードサービス専門業者です。
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by A隊員の創業日記40

2013.8.25(日)曇り
エピローグ

一般的に独立するときというのは・・
ある程度、営業基盤が確保されていたりします。

独立元から容認されてるか、奪い取るかの違いはあるにせよ
事業計画が成り立つよう段取りされているもんです。

助人は何の基盤もありませんでした。
正真正銘ゼロからのスタートです。
バイク便時代のお得意先とは1年間取引しなかったというか、
形式的には前の会社への仁義を通した格好になっています。

旗揚げ当初は本当にしんどかったんですが・・
だからこそ、純粋に腕だけで勝負出来たというのは返って幸いでした。
今となってはこれしか方法がなかったろうと思います。

何も特別なことはしてませんね。
目の前には細くて薄暗い道が用意されていただけというか、
どんな誘惑にも横やりにも負けず、ただ歩き続けただけです。

純粋な目で見続ければ絶対見失わない道・・
そういうものが存在していることを体感した3年間でした。


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by A隊員の創業日記39

2013.8.20(火)晴れ
新たな目標へ向けて

助人はたった2つのグチから生まれたようなもんです。
「都内渋滞」と「開錠技術」ですね。

助人はこれらのアンサーになれたんだろうか・・
この問いは永遠に続きそうな気がします。

2006年、子供の小学校入学式の際・・
父親であるA隊員も特別な感情があふれていました。
ようやく軌道に乗ったというか、新たな出発点といった気持ちで、
校長先生の挨拶を聞いていました。

翌日久しぶりに妻を誘って外食しました。
下北沢にあるお好み焼き屋ヒロキです。
何でお好み焼き屋だったのか思い出せませんが・・
たぶんどこでも良かったんだろうと思います。

カウンターの目の前で焼かれたちょっと豪華なお好み焼きを、
2人で拝んでから食べたのを覚えています。

お腹いっぱいお好み焼きを食べたこのあたりで・・
激動の創業期を終わりたいと思います。


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by A隊員の創業日記38

2013.8.15(木)晴れ
誤解から理解へ

「A隊員さんはベンツをご存じない!」
「全国の優秀なカギ屋さんが開錠不可なんですよ?」

素直に喜ばれるかと思っていたら予想外の展開でしたね。
何を話しても信用されず、帰される寸前でした。

ベンツトランクをピッキングしている業者が存在しないということを、
ロードサービスのコールセンターで初めて知ることになりました。
こうなれば、現実にあった話しをするしかありません。
「筑波ベンツトランク事件」を話題に出すと、状況がガラリと変わりました。
最初Yさんは唖然としてましたが、それからは早かったです。

Yさんは頭の回転が速く理解の深い人でした。
別れ際には「失礼な態度で何とお詫びしてよいやら・・」という流れになり
逆にこちらも恐縮するような感じでしたね。

拠点へ戻って「営業は好感触だったよ」と伝えると、
みんな自分のことのように喜んでくれました。

助人と取引して本当に良かったと思わせたい・・
営業先で誤解されたときほど、強く思ったもんです。


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by A隊員の創業日記37

2013.8.10(土)晴れ
Yさんからの指摘

大手某アシスタントさんのお墨付きがもらえたというか、
昔の無名時代の助人サービスとはお別れです。

次に営業へ行くのも大手なんですが、
箔の付いた助人をアピールしようと考えました。

信長戦法ですね。
彼のイメージは桶狭間なんですが、あんな奇襲攻撃は最初だけです。
その後は一か八かなんかせず戦略を駆使して攻略していきます。

助人の桶狭間も紙一重の勝利でした。
この勲章を胸に次はプレゼンだけで挑みます。
元々少量ながらも依頼件数のあったお得意さんです。
これまでの営業提案で評価された点をふんだんに資料に取り入れて、
簡素だった提案書をよりパワーUPさせました。

意気揚々営業しに行ったんですが・・
担当者のYさんは手厳しい印象でしたね。
開口一番「ウソは良くないよ」とYさん。

資料を指さしながら「ほら。ここ見て」
「ベンツトランクがピッキング出来るって書いてあるよ」


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by A隊員の創業日記36

2013.8.5(月)晴れ
死闘の成果

「筑波山ベンツトランク事件」は大きな収穫をもたらしました。
依頼件数が一気に増えて、急きょ人員増強が必要になります。

数か月後にY隊員が、その後K隊員が入ってきました。
創業隊員の一人G隊員は横浜で独立する流れになりました。

個人的には工具の重要性を初めて認識したときでもありました。
たとえ悪天候でも素早く攻略出来る工具があれば・・
と真剣に考えるようになりましたね。
実を結ぶまで3年かかりましたが、この死闘がなかったら生まれてないです。

もしも晴れていたら、死闘にはならなかったというか、
そもそも助人へは手配されなかったかもしれません。
2番手のカギ屋さんが解決出来ていた可能性が高いし・・
レッカー車が入れたかもしれないですね。

こんな大事件の直前にTさんに出会ってるのも不思議というか、
営業したタイミングも神がかってますね。

すぐ実家へ帰って父の墓参りというか・・
戦勝報告したのは言うまでもありません。


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by A隊員の創業日記35

2013.7.31(水)晴れ
筑波山の戦い5

Tさんは「本当に良かった」と繰り返しつぶやいていて、
まるで自分自身に言い聞かせてるようにも見えました。

お客さんは別の場所で待っていて、こちらへ向かってました。
開錠後は30分ぐらいTさんと現場にいましたね。

そういえばタバコに火を点けるのに苦労しました。
Tさんも何度も挑戦していて、たぶん湿気ってたんでしょうね。
禁煙して6年経ちますが、何となくあの時の味がよみがえってきます。
神秘的な風景の前で、頭の先から指先までピリピリさせてました。

駅前の喫茶店でTさんと遅い昼食を取りました。
車やバイクのカスタム話しで盛り上がったのを覚えています。
作業前後で所々薄れている記憶も多いんですが・・
Tさんと語った思い出だけは色濃く残っています。

今こうして振り返ってみても・・
営業展開してから筑波山までの流れは出来過ぎでしたね。

何の取り得もない平凡なA隊員の人生の中でも・・
こんなにキラキラしたシーンは中々ないです。


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by A隊員の創業日記34

2013.7.26(金)晴れ
筑波山の戦い4

確信を持って開けたドアの先には光が射しこんでいました。
奥に見えるドアは最後の一枚というか、リーチですね。

Tさんへ「そろそろ開きます」と伝えると、「本当?よっしゃー!」と
明るく無邪気に答えられたので、少しビックリしました。

Tさんもずっと戦っていたんだと思います。
寒い上に足元はずぶ濡れでしたが、辛そうな雰囲気は皆無というか、
無理やりカラ元気にしているように見えました。
すぐ弱音を吐くA隊員と違って、Tさんはとても強い人でした。

最後は少し時間を置きました。
万が一態勢を崩してしまって鍵穴をリセットしたら大変です。
少しでも息を整えて、確実に仕留めようと思いました。
ほんの数秒でしたが色々な思いが巡りましたね。

今、何年分かの運を使い果たしてるんだろうな・・とか、
これが全て夢だったら笑えるな・・等々、
強気な思いは何ひとつ浮かんでこなかったのを覚えています。

最後はいたってクリアーな視界でした。
光に吸い込まれるように扉を開けて、トランク攻略完了です。


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by A隊員の創業日記33

2013.7.21(日)晴れ
筑波山の戦い3

ピッキングは何枚もあるドアを開けて次の部屋へ進むようなもので、
「間違った部屋」に入ると行き止まりになる訳です。

腕を磨くと、ドアノブに触れた瞬間に○か×か分かります。
行き止まりが事前に分かるので、確信を持って最短ルートを進めたりします。

この時はまだ、しっかりとした確信が持てませんでしたね。
ドアを開けて行き止まりのときのショックは体力を激減させました。
次第にピッキングも雑になるというか・・
運頼みになっていく自分を止められませんでしたね。
来た道を何度も戻ったりしました。

時折ヒザカックンみたいな感じで、無意識に崩れそうになりました。
滑りやすい泥の上で長時間ブリッジしてるので無理もないですね。
ヒザに意識を集中していると、今度は腰がガクガクしてきます。
痛みとか全くないんですが、一気に崩れ落ちる予感がしました。

もはやこれまで・・
そう思った瞬間、突然大きな手ごたえを感じました。

このドアは確実にゴールへつながっている・・
それは陥落寸前で得た初めての確信でした。


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by A隊員の創業日記32

2013.7.16(火)晴れ
筑波山の戦い2

作業中、Tさんはずっと傘をさしてくれました。
開始早々「ちょっと時間かかりそうです」と伝えると・・

「慌てないで。ゆっくりやって下さい」と震える声で励まされました。
スーツにコートだけのTさんには厳しい気温だったと思います。

今なら「どこかで雨宿りして」と言えるかもしれませんが・・
当時はそんな余裕はありませんでした。
スコープの曇りが取れるのを待ってる間、ネガティブな思いがふくらんできて、
「このまま開かなかったら・・」というのも考えましたね。

自分が勝手に飛び込み営業しただけだし・・
そうだ。もともと何もなかったと思えば・・
Tさんには申し訳ないけど、この天候ならしょうがないよな・・
絶体絶命でも、他のせいにすることで幾分気持ちが軽くなるというか、
ほんの少しの間でも辛い状況を忘れられました。

次第に指先の感覚はなくなっていきました。
足元に目をやると、Tさんの革靴は水たまりの中です。

この世で2人だけが取り残された感じというか・・
筑波山の麓は静かに厳しい時間だけが流れていきました。


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by A隊員の創業日記31

2013.7.11(木)晴れ
筑波山の戦い1

降りしきる雨の中、常磐道を北上してると・・
なぜか亡き父親の顔が浮かんできました。

「とりあえず舞台だけは用意した」と言われたような気がしましたね。
そういや全くお墓参りしてないなぁと思ったもんです。

最寄りの駅でTさんと合流後、別の車に便乗して現場へ向かったんですが、
筑波山の麓は想像以上に厳しい環境でした。
現場は田んぼを埋め立てたばかりの仮設駐車場で霧もかかっています。
全てをぶつける覚悟で作業に取り掛かりました。

いつものように下向きシリンダーをのぞこうとしますが・・
足場の悪さが大きな障害となりました。
泥の上でブリッジしようとすると、下半身への負荷がすごいというか、
まるで空気イス状態となり、どんどん体力を奪っていきました。

もうひとつ想定外だったのはスコープの曇り。
曇り止めスプレーの効果は息を止めている間だけでした。

これはトンデモナイ場所に来てしまったというか・・
始まって数分で絶体絶命となりました。


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by A隊員の創業日記30

2013.7.6(土)晴れ
最大のチャンス到来

営業提案後すぐにTさんから電話が入りました。
「明日、茨城県つくば市でベンツトランク開錠出来ますか?」

「もちろんOKです」という流れになったんですが・・
かなり厄介な案件になっていました。

最初に来た地元のカギ屋さんがギブUPしたんですが・・
2番手のカギ屋さんもギブUPしたとのこと。
実はこの2番手は噂で知っていた凄腕集団でした。
おそらく某アシスタントさんのリーサルウエポンだったはずです。

今回3番手で助人に手配されるのは異例中の異例ですね。
ここまで来ると搬送になるはずが、連日の大雨でぬかるみになっていて、
レッカー車が入れないという状況でした。

明日はTさんも同行する流れになったんですが・・
大雨でベンツトランクを無事開けられるだろうかという不安と、
すごく大きなチャンスが回ってきたという思いが交差して、
あまり眠れないまま当日を迎えたのを覚えています。

天下分け目の戦いへいざ出陣です。


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by A隊員の創業日記29

2013.7.1(月)晴れ
Tさんとの出会い

都内はトラブル件数が多く、渋滞もひどいんですが・・
助人サービスを使うとみんなハッピーになれます!

だいたいこんな雰囲気の提案をしていました。
何社か営業したんですが何も変わりませんでしたね。

そんな時です。
ダメ元で訪れた大手アシスタントさんで衝撃の出会いが待ってました。
その後にどんな時も助人を温かく見守ってくれたTさんです。
Tさんは「機動力」にものすごく興味を示してくれました。
というのも27で書いた同業者出現のニュースは業界の関心事でした。

A隊員が提案し終わると、Tさんはすぐに席を立ちました。
そしてすぐに上司の方を連れてこられて、その場で説明してくれました。
初めて噛み合ったというか、需要と供給がマッチした感じです。

機動力も欲しいし開錠技術も欲しいので、もっと詳しくという流れになり、
開錠実演したり色んなお話しした記憶がよみがえります。

だがしかし、そう簡単に事は進みませんでしたね。
助人の実力を試される時間が刻々と近づいていました。


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by A隊員の創業日記28

2013.6.26(水)晴れ
理想の形と現実の壁

創業1年が過ぎたあたりは激動期ですね。
方向性の違いから本音でぶつかり合った時期でした。

1人辞め、入れ替わりでJ隊員が入ってきたのもこの頃です。
A隊員は本格的に大手アシスタンス会社へ売り込もうとしてました。

この頃の助人にはある程度の売上はありましたが・・
当初描いた理想の形ではありませんでした。
助人の機動力を活かしたロードサービスは丁寧な説明が必要というか、
理解されるまで時間のかかるところが厄介でした。

あるお得意さんからはバッテリージャンプ依頼だけしか入らず、
他のお得意さんからは開錠依頼しか入らないという感じで、
本来どちらも出来るんですが、なぜか別々に登録されていました。

さらに23区全域を素早く動けるよう拠点展開していましたが、
実際に手配されるのは拠点近くのエリアだけでしたね。

本音はレッカーしない作業全てバイクでやりたかったんですが・・
中々認知されないところでもがいていました。


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by A隊員の創業日記27

2013.6.21(金)晴れ
同業者出現

HP公開してから声をかけられるケースが増えました。
カギ屋さんとかレッカー屋さんとかが多かったです。

その中でも印象的だったのは同じバイク部隊の同業者さんでした。
助人サービスとモロかぶりですね。

稼働車両がBMWでプレミア感いっぱいでした。
助人もある意味個性的?なバイクで負けていなかったんですが、
大手資本がバックに付くと凄いなぁと思ったもんです。

その同業者さんから「走行訓練が大変」という話し聞いて「ハッ」としましたね。
仕事でバイクを扱う難しさは前職でさんざん経験しています。
助人の場合はみんな熟練スタッフなので、その部分は完全にスルーしてますが、
初めて教育していくことを想像すると果てしない道のりです。

バイク便時代、得意になる人ほど事故と免停を繰り返してましたね。
都内を10万キロ走って一人前と言われたもんです。

とっくの昔に酸いも甘いも経験している助人隊員ですが・・
これほど頼もしい仲間もいないと思ったものです。


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by A隊員の創業日記26

2013.6.16(日)晴れ
HP公開と日記誕生

助人は開錠技術にこだわり続けてきたんですが・・
それを宣伝する方法がありませんでした。

そこでHPを作ろうという流れになります。
業者に頼むとお金がかかるので一から勉強しました。

費用はブックオフで買った本の105円だけです。
「誰でも簡単にHPが自作出来る!」とかいう本ですね。
オンボロのソニー・バイオC1Rを持ち歩いて作っていました。
初めてグーグル検索で「助人サービス」がヒットしたときは感動したもんです。
大海へ漕ぎ出したような心持ちでした。

最初に日記を取り入れる時には反対者続出でした。
「助人のイメージが悪くなるかも」という意見が多かったです。
とりあえず一人で書き始めるんですが・・
日々の作業を中心に書き続けるというのは大変でした。

皆に認めてもらうまで半年かかっています。
今振り返ってみてもすごい量というか、もう絶対書けないですね。

現在持ち回りで5日に1回書いてますが・・
本当にありがたいことです。


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by A隊員の創業日記25

2013.6.11(火)雨
いつでも完全攻略

ギブしたカギ屋さんをヘルプした時なんか・・
自分がテクニシャンになったかのような優越感に浸りました。

逆に自分たちがヘルプされた時とかは・・
何というニワカ技術だろうと、ものすごく落ち込みましたね。

カギ屋さんを助けた分、他のカギ屋さんから助けられるという、
頂点とどん底を味わいながら研究に没頭しました。
解明したものはどんどんレポートにまとめていきました。
A隊員が作った「ジャガー完全攻略マニュアル」だけでも3部あるというか、
毎回「これで全ての謎が解かれた」とかサブタイトルが付いてます。
いわゆる「パチスロ必勝法」とかとあんまり変わらないです。

本人は大真面目に作っていました。
完全に見切った!とか悟った後に、何回もハマっていましたね。

でもひとつの希望は芽生えていました。
ほんの少しずつですが、完全攻略に近づいている実感がありました。

この作業を繰り返していけば、いずれ突破口は見えるはず・・
そう自分自身を励ましながら、誇大広告は続いていくのでした。


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by A隊員の創業日記24

2013.6.6(木)晴れ
一般常識とのかい離

助人はカギ屋ではないです。
機動力と開錠技術を売りにするロードサービス屋ですね。

結果としてカギ屋の常識に縛られなかったのは幸いでした。
何が難しくて、何が簡単とかも分かりませんでした。

一般的にはピッキングしづらい場所はキー複製して開錠したりしますが、
助人には複製技術も、複製工具を積めるスペースもありませんでした。
今では幅広いことも出来るようになりましたが・・
当時は、消去法でピッキングを貫いていただけです。

普通なら装備を変えて戦おうとするところ、助人はピッキングのみでした。
それがいつの間にか独自の進化を遂げたような気がします。

車の開錠のみに特化出来たのも幸いでした。
一般的なカギ屋さんなら住宅等の鍵修理や交換等がメインかと思います。
車の開錠という、いつ入るか分からない仕事は割り切りが必要というか、
おそらく開錠だけで営業しているカギ屋さんはいないと思いますね。
(いたらすみません)

たまに「助人さんすごい!」とか言われて得意になってましたが・・
単に研究する時間がたくさんあっただけです。


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by A隊員の創業日記23

2013.6.1(土)晴れ
重大な気づき

助人の開錠技術がどのレベルなのかは見当つきませんでした。
ただ少しずつ他のカギ屋さんのヘルプが回ってきました。

この頃にモデルチェンジした外車も多かったです。
初めてベンツやBMW2トラを見たときには「何じゃこりゃ?」でした。

こうなれば土俵は一緒なはずです。
どのカギ屋さんも現場で初めて遭遇して慌てているはず・・
そんな事を考えながら、スレスレの戦いが続きました。
何一つラクな開錠なんてなかったんですが・・
気づけば他のカギ屋さんをヘルプする回数も増えていきました。
それともう一つ重大なことに気づき始めていました。

ベンツの下向きトランクです。
ヘルプしている中で突出して多いケースでした。

助人にとっては「大変なもののひとつ」ではあるんですが、
皆すでに開錠出来るレベルにありました。

なぜベンツトランクだけ他のカギ屋さんがギブするのか・・
当時はよく分かりませんでした。


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by A隊員の創業日記22

2013.5.27(月)晴れ
助人流カイゼン

時にはギブアップする車も出てきました。
ハーフタンブラーを壊したり、アブロイキーを開錠出来なかったり・・

それでもカイゼンして短期間に克服していきました。
カイゼンの秘訣は情報の共有化ですね。

1人のミスが5人全員のリスクとして緊張出来たし・・
1人の解明が5人全員の時間短縮につながりました。
単純に5年かかることを1年で突破したようなもんです。

貴重な情報を自分だけのものにしていったら・・
きっと技術的格差は広がっていたと思います。

それでも情報共有化は簡単ではありませんでした。
ハマったりギブしたのを報告するというのは、すごく恥ずかしいことで、
皆からアレコレ言われるのも面倒なことでした。
最初の頃は「普通に開錠した」ことにして知らんぷりしていたんですが、
やっぱりすぐバレるんですよね。

苦手なことを隠してはバレて、余計に辛い思いを何度も繰り返して・・
ようやく乗り越えていったように思います。


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by A隊員の創業日記21

2013.5.22(水)晴れ
どんなときも総力戦

仕事が少しずつ増えてくるとハマる回数も増えてきました。
徹底したルールはヘルプ出動ですね。

どんな過酷なシチュエーションでも・・
長時間かけずに絶対解決しようという流れです。

たぶん一番ヘルプ出動したのはH隊員だと思います。
新人時代のJ隊員やY隊員はたくさんお世話になったと思いますね。
H隊員は助人クオリティのあるべき姿を見せてくれました。

東京の西側をH隊員が、東側はA隊員が死守しました。
時には2人タッグを組んで強敵と激闘したこともありましたが、
振り返ってみると楽しい思い出です。

ベンツトランクでは脱水症状スレスレの勝利に感動し・・
2人でかかれば何でも出来ると思ったもんです。
反面どうにもならない悔しい思いもたくさんしました。

失敗も成功も紙一重でしたね。
助人の名に傷が付かないよう総力戦で戦っていました。


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by A隊員の創業日記20

2013.5.17(金)晴れ
背伸びしてモヤモヤ

調子良く開錠すると決まってお客さんから質問されました。
「お兄さん何年やってんの?」とか「何年で覚えられるの?」とかです。

とっさに「5〜6年です」とか答えていました。
当時は「まだ半年です」とは言えませんでしたね。

大半は恥ずかしい気持ちがあったんですが・・
開錠作業が簡単に覚えられると誤解されるのがイヤでしたね。
実際A隊員も1日でマスターしようとした口なのでアレなんですが、
働きながら覚えようとしたら、たぶん3年分ぐらいの質というか・・
一般的な3年に背伸びして5〜6年・・

まぁ普通にウソついていたんですけどね。
こういう会話した後はモヤモヤしたもんです。
あっという間に時間が過ぎてくれないかな・・みたいな。

先日お客さんから同じような質問されたんですが・・
何も考えず「ちょうど10年になります」と答えました。

たぶん、この日記を書かなければ・・
昔そんなモヤモヤがあったことさえ忘れていたと思います。


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by A隊員の創業日記19

2013.5.12(日)晴れ
極貧で見えたもの

旗揚げして、すぐに貯金を切り崩す生活に入りました。
最初の半年間の収入はほぼゼロというか・・

1年間平均しても毎月5万円ぐらいの収入でした。
生まれて初めて本物の極貧生活を送っていましたね。

休日は家族3人手をつないで遊園地へ行くんですが・・
家から遊園地入口までの散歩が主な娯楽でした。
入場出来ないのが当然すぎて悲しいとは感じませんでした。
道草しながら笑わせてるだけで充分楽しかったです。

いざ極貧になってみると優先順位が定まるというか・・
今まで必要なものと思っていたことが支えきれずに消えていくんですが、
それほど苦にならずに、結局のところ迷いや不安が消えましたね。

どこへ行くのも3人一緒、用もないのに3人一緒でした。
普通に生活していたときは互いのプライベートを尊重してましたが、
どん底で支え合えられるのは家族だけでした。

中途半端な収入があったら気づけなかったというか・・
極貧という期間は人生のどこかで絶対必要ですね。


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by A隊員の創業日記18

2013.5.7(火)晴れ
救われし者たち

「営業行こう!」という流れになってチラシ作りました。
それぞれエリアを決めて車屋とか駐車場とか回りました。

チラシ配ってるときは生気を取り戻すんですが・・
事務所に帰ってくるとまた骨抜き状態のスパイラルです。

しょうもない喧嘩もたくさんしました。
相手の揚げ足取りで何の生産性もありませんでした。
この頃は有り余るエネルギーの使い道に困り果てたんですが、
人に一番悪い環境は暇なことだと思いましたね。
何もない環境でエネルギー使おうとすると悪い方向へ流れました。

このまま仕事が入らなかったらどうしよう・・
皆、不安で押し潰されそうになっていました。

そんな状態を救ってくれたのは仕事です。
1本入るたびに全力で救援作業しましたね。
お客さんからありがとうと言われただけで涙が出そうでした。

救援作業しておいて、一番救われたのは助人隊員です。
1本1本思いを込めて大切に作業していました。


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by A隊員の創業日記17

2013.5.2(木)晴れ
暇はシンドイ

F隊長は朝も夜もひたすら電話を取り続けました。
およそ半年間、ほとんど休んでないです。

全く電話が鳴らない日とか、何度も電話コードを抜き差ししたり、
携帯から電話してつながるかの確認が日課でした。

開錠練習をやり尽くした後ぐらいがどん底でしたね。
暇で何もすることがなくTVゲームに夢中になりました。
対戦ゲームでイライラを発散しようとするも、余計イライラしたりしました。

一番ハマったのはH隊員が持ってきた「アマードコア3」です。
好きな武器やパーツを組んで対戦するんですが・・
プレーヤーの性格がもろに出て、よく考えられたゲームでした。

最初のうちは素人が遊び半分という感じで競っていたんですが、
1週間もすると皆プロになっていました。
どんな多彩な装備でも扱えないと意味ないというか・・
極めてくると、動き方ひとつで勝てることを学びました。

アーマードコア3をやり尽くしたあたりでしょうか。
俺たち何やってんだろう・・という虚無感に襲われました。


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by A隊員の創業日記16

2013.4.27(土)晴れ
H隊員の激闘

助人が旗揚げしたのは暑い季節の真っただ中でした。
普段の仕事はただ待つだけです。

その間もずっと開錠練習に費やしていました。
暇な分、練習量も増えていたので有意義な時間だったと思います。

旗揚げして大きな問題が浮上してきました。
どうやって24時間営業するか、ですね。
とりあえずH隊員が夜も稼働するという流れになっていくんですが、
ほんの少しの間という雰囲気がずっと続くことになりました。

江東拠点が出来るまでの間というか・・
旗揚げしてから半年間のほぼ全ての夜の作業はH隊員です。
いや夜だけじゃないです。昼も走ってます。

このH隊員の働きがなければ今の助人はあり得ないですね。
たった一人で23区全域を支えていました。

それぞれが誰に言われた訳でなく・・
自分自身の役割を見つけ始めていました。


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by A隊員の創業日記15

2013.4.22(月)晴れ
助人とチケット

社名は何も考えてませんでした。
お互い「任せるよ」と逃げ腰だったのを覚えています。

ものすごく真剣に考えていたら「すけっと」の響きに電気が走って
ちょっと興奮気味に皆へ相談したら・・

「まあまあ」とか「それでオケ」とか、「何でもいいよ」とか、
全く輝きのない返事が返ってきました。
最終的に膨らんで「東京レスキュー助人サービス」になります。
A隊員は「すけっと」の響きに特別な感情があったんですが、
なぜかお得意さんからは「東京レスキューさん」と呼ばれました。

しばらくしてバイク便会社の元同僚から電話がかかってきました。
辞めてから初めての電話だったので、ちょっと警戒したんですが・・
元同僚・・「何のチケット売ってるんですか?」
A隊員・・「チケット?何のこと?」
元同僚・・「会社からマークされてるみたいですよ」という流れでしたが、
当時は何のことか分かりませんでしたね。

後から「チケットサービス」と勘違いしていたというのを知って・・
涙流して笑ったのは言うまでもありません。


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by A隊員の創業日記14

2013.4.17(水)晴れ
市場調査2

今度は神奈川でカギ屋さんを呼んでみました。
場所が変われば違うカギ屋さんが来るだろうという単純な発想です。

前回は開錠するまで1時間ぐらいかかっています。
どこかで隠れてゆっくりしようとしたら外からG隊員が合図してました。

「開いたみたいだぞ!」
一斉に外へ出てみるとハイエースのドアは開いてました。
そしてすでにカギ屋さんもいなくなっていました。
「いつ来たの?」「どうやって開けたの?」「何で知らせないの!」
色んな質問をG隊員へぶつけるんですが、後の祭りですね。
カギ屋さんは疾風のようにやってきて瞬殺していきました。

開錠手段は差し金です。
2秒で開錠してお金もらってサッサと帰ったようです。
これはかなりショッキングな出来事でした。

自分たちの信じてきたピッキング技術が揺らいだというか、
どんなに極めても2秒で開錠出来ないことは確かでした。


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by A隊員の創業日記13

2013.4.12(金)晴れ
市場調査1

G隊員のハイエースには少し難しいカギが付いていたんですが、
この時期は5分以内で開錠出来るまでになってました。

一般的なカギ屋さんはどれぐらいで開錠するんだろうか・・
自分たちのレベルを知りたくて自腹で開錠依頼した訳です。

G隊員はカギ屋さんの作業に立ち会いながら・・
他の4名はファミレスの2階の窓際で待機します。
最初は瞬殺されたらどうしようとか、色んな話しで盛り上がりました。

ピッキング開始から、どれぐらい経過したでしょうか・・
皆ダラダラしてきて気付くと40分以上経過しています。
結局カギ屋さんはピッキングを諦めて違う方法で開錠しました。
これが一般的なレベルなのか、それとも単に経験不足なのか、
全く分かりませんでしたね。

ただ以前お得意先の担当者の言葉が頭をよぎります。
「全体の開錠技術がもっと良くなったらなぁ」

もしかして助人は中より上にいるかもしれない・・
そう思うことで半ば強引に自信を持つことにしました。


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by A隊員の創業日記12

2013.4.7(日)晴れ
250時間の猛特訓

研修期間はおよそ1ヵ月です。
F隊長の自宅で開錠技術の練習に明け暮れました。

キーシリンダーを山ほど購入して無我夢中で練習しましたね。
たった1ヵ月と思うかもしれませんが内容は実に濃いです。

1日10時間で25日としても連続250時間やってます。
仕事しながらとか、合間とかでは追い付けなかったと思いますね。
乾いたスポンジがあっという間に吸水していくというか、
徹底的に集中したからこそ基礎がしっかりしたと思います。

タイムトライアルしたり、どうしたらもっと早くなるか議論したり・・
苦手な人には付きっきりでフォローしたり・・
ここで助人ならではの開錠論が育まれたと思います。

それでも自信なんか全くないまま黙々と練習する日が続くんですが、
しばらくして「自分たちにも出来るんじゃないのか?」と
思える日に遭遇することになります。

それは他のカギ屋さんの作業を目の当たりしたときです。
自腹でハイエースの開錠を依頼してみました。


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by A隊員の創業日記11

2013.4.2(火)雨
希望をつかみに

隊員は新たに3名加わりました。
全て前のバイク便会社の現場部隊の幹部です。

これだけ動くのは難しいんですがF隊長が説得して回りました。
皆、明日への可能性へ賭ける方向で一致しました。

昔のバイク便はそれなりに稼げました。
A隊員でさえも新人1ヵ月目で50万円とかもらってました。
営業所も増えていって、所長とかエリア長とか役職も増えていきましたが、
2000年以降ネット環境によって需要が減っていきました。
売上が減っていくのに、なぜかその後も役職者は増えていきましたね。
そんなイビツな組織の犠牲者は末端の配送員でした。

安い手当では人も集まりませんでした。
拡大期にはエリア長の役割が大いに発揮出来たんですが・・
縮小期にあっては何の役にも立たず、先が見えていましたね。
すでに会社と現場では決定的な溝も出来ていました。

今考えると当然の流れだったように思えるんですが・・
ハラキリした後は、色んな中傷受けました。

でも、もう振り返ってる余裕なんかないです。
来月以降は給料出るか出ないか分からないんですから。


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by A隊員の創業日記10

2013.3.28(木)晴れ
夢から現実へ

それぞれメーカーごとに癖があることを学びました。
特にトヨタのハーフタンブラーには悪戦苦闘しました。

研修中「ハーフは現場でやりたくないな〜」とか思っていたんですが、
まさか一番多く依頼が入るとは思ってなかったです。

翌週にまた名古屋です。
宿題はバッチリやってきたので、以前の課題は何とか突破出来るというか、
時間をかければ、そのうち開けられるというレベルまで来ました。

続いて内溝キーの講習に入るんですが、これがとんでもなかったですね。
初めてBMW4トラックに挑んだ日は一気に夢から覚めたというか、
これら全て仕事としてやっていけるのだろうか・・と本気で悩みました。

「先生!もう少し長く教えて!」なんて今更言えず、これで卒業です。
ものすごく運が良くて調子良かったら開くかもしれない・・
そんなフワフワな開錠技術がA隊員に宿った訳です。

この技術をどこまで伸ばせるか、どうやって皆へ教えていこう・・
やることは山積みで、夢見る時間はとっくに終わりましたね。

全てが動き出した感じです。


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by A隊員の創業日記9

2013.3.23(土)晴れ
いざ名古屋へ

開錠技術の成否は自分にかかっている・・
早朝、名古屋へ出発するとき急にプレッシャーを感じました。

もう後へ引けないというか・・
東名自動車道が新たな旅の始まりのように思えました。

「バイクで長距離は大変だったでしょう〜」
名古屋の先生は想像以上に優しい方でした。
学校といってもワンルームマンションの一室です。
テーブルの上には小道具がたくさんあって、まるで工作室でした。

授業はマンツーマンでした。
一通り座学をやって実践に入っていくんですが、すごく刺激的でした。
見るもの触れるもの全てが、初めての体験でした。
「なるほど〜」とか「こうやって開けるんだぁ」とか関心しまくりでした。

先生の言うとおりにピッキングしてみると簡単に開けられるんですが、
自分で勝手にやってみると開けられないのが不思議でしたね。

最初の難関はホンダの一般キーでした。
「先生!このカギ何かおかしいです」とか質問したのを覚えています。


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by A隊員の創業日記8

2013.3.18(月)晴れ
夢の始動

後日、名古屋の先生から電話がかかってきました。
「専用のカリキュラムを作りました」との事で胸躍りましたね。

土・日曜日の2日間で、2週続けて行うことになりました。
先生は「かなり詰め込みますよ」とプレッシャーかけてくるんですが・・

A隊員には全く効かなかったです。
「全く問題ないです」とか「全然大丈夫です」とか答えていました。
専用カリキュラムが出来たということで全ての心配が消えたというか、
すでに開錠技術を身につけているような心持ちになっていました。
4日どころか1日でマスターしてやるぐらいの気持ちでした。
完全にアホでしたね。

当時の雰囲気はよく覚えています。
たまたま仕事で有明3丁目のTFTビルにいました。
嬉しくて胸躍ってシャワーツリーの天井をずっと見上げてましたね。
「待ってろよ!名古屋ーー!」と心の中で何度も叫んでいました。

今でも迷いのあるときに訪れる場所だったりします。
あの時の一点の曇りないアホな自分に会いに。


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by A隊員の創業日記7

2013.3.13(水)
バイクで人助けがしたい

人の気持ちはテコのようなもので・・
退職するイメージをした瞬間、あっという間に傾きました。

不安とか無かった訳ではないです。
「バイクで走り回って人助け」と考えただけでワクワクしましたね。

都内をバイクで駆け回り・・
どんな高級車もあっという間に開錠していく・・
想像するだけで、今まで味わったことのないような昂揚感がありました。
ピッキングってどんなことするんだろう・・
考えただけで、ときめいたのを覚えています。

探してみると名古屋に鍵の学校がありました。
ちなみに今はもう実在していません。
一般的にこうした学校では鍵関連全般が対象になっていたりします。
車以外に住宅や金庫の鍵とかですね。

助人の欲しい技術は「車の開錠」のみです。
思い切って単体で教えてもらえるか相談してみました。

すると名古屋の先生は「分かりました。検討してみます」とのこと。
祈るように電話を切ったのを覚えています。


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by A隊員の創業日記6

2013.3.3(日)晴れ
きっかけ

「そろそろ手を引け」という会社と、落胆するお得意先の間にあって
やる気満々のA隊員という不思議な構図でした。

某アシスタントさんとの打ち合わせも行き詰っていたんですが、
そんな時にあのグチを耳にすることになったんです。

「都内の渋滞」と「開錠技術」ですね。
その時に初めて開錠技術に興味を持ちました。
どうやら鍵の学校みたいなところで教えてくれるらしいですが、
その実態はよく分かりませんでした。

専務は「開錠作業なんて絶対無理」の一点張りです。
それよりも「いつ手を引くんだ」と詰め寄られる始末です。

相変わらずF隊長とはバイクで走るロードサービスを語らうんですが、
却下されることが分かっているので落胆して終わるという・・
そんな日々を過ごしていました。

「いっそウチらで始めようか」
最初は、そんな雰囲気だったように思います。


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by A隊員の創業日記5

2013.2.26(火)晴れ
ダメと言われるほど・・

バイク便会社では郵政民営化の波に乗って一大挑戦中でしたが、
その陰りが見え始めてる頃でした。

その先頭を走っていた専務は数年後に辞めてしまうんですが、
当時は絶大なる権力を持っていました。

ロードサービスどころではない・・
専務直轄の営業部はそんな雰囲気が充満していました。
でもそんなのお構いなしですね。
いつの間にかA隊員自身がのめり込んでいたように思います。
F隊長はそれ以上に前のめりでした。

専属部隊がいれば早く駆けつけられるとか・・
出動拠点を各方面に設置するとか・・
会うたびに夢中で話し合いました。

もちろん専務はNOの一点張りです。
これは何度掛け合ってもダメでした。

専務の圧力を忘れ去ろうとしてたんだろうと思います。
夢を語っては落胆する日々を過ごしていました。


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by A隊員の創業日記4

2013.2.21(木)晴れ
ファーストコンタクト

某アシスタント会社さんの提案は意外なものでした。
「バイク便のインフラを使ってロードサービスを出来ないか」

最初は「ロードサービス??」という感じでしたね。
場違いな会社が妙な提案してきたぐらいの感覚でした。

それから何度も交渉を重ねて「とりあえずやってみよう」となり、
作業はバッテリー上がりとガス欠の救援に決まったんですが、
肝心の人員にメドがつきませんでした。

毎日が配送員の足りない状態です。
その中でロードサービスに割ける人員なんて皆無ですね。
出した結論が「待機している配送員」になりました。
一通り研修した後、実際にやってみたんですが・・
全くお話しにならなかったです。

そもそも待機している配送員にロードサービス作業を手配しても
一旦拠点へ戻って機材を積載しなければなりません。
救援場所へ直接行けないので、ものすごく遅かったですね。

スピードを発揮するべくバイク便なのに・・
始まってすぐ暗礁に乗り上げました。


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by A隊員の創業日記3

2013.2.16(土)晴れ
バイク便の内と外

以前の仕事はバイク便です。
当時は都内の配送員が300人以上もいる巨大な組織でした。

F隊長は現場の筆頭幹部で、A隊員も現場の幹部だったんですが、
本社営業部へ引き抜かれて間もない頃の話しです。

当時のバイク便というのは絶頂期を過ぎた頃でした。
インターネットが普及したぐらいの頃です。
今まで配達していた書類がメールに添付出来るようになれば、
自ずと仕事は減っていきますね。

現場の雰囲気は熱かったんですが、社内は殺伐としていました。
せっかく期待されて現場から異動したのに・・
何も出来ない自分が情けなかったですね。

営業の仕事といえば新規取引先を増やすことなんですが・・
配送員は万年不足で、仕事が増えても配送員の確保が難しいという・・
そんな日々を過ごしていました。

そんな時に現れたのが、某アシスタント会社さんでした。


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by A隊員の創業日記2

2013.2.11(月)晴れ
2つのグチ

助人はたった2つのグチから生まれたようなもんです。
A隊員がまだ前の会社へ勤めていた頃の話しです。

お得意先との会議が終わった後の立ち話しだったんですが、
ちょっとしたグチみたいな話しになりました。

「都内の渋滞がネックで現着が遅れるんだよなぁ」とか、
「全体の開錠技術がもっと良くなったらなぁ」とかですね。
特に開錠技術は当時ピッキング出来る業者があまりいなくて
手配するのも大変みたいな話しを聞かされました。

当時はあまり関係ない仕事だったので真剣に聞いてませんでしたが、
「現着スピードと開錠技術」さえあれば仕事になりそうというのは、
ボンヤリと考えていましたね。

その数か月後・・
F隊長が人集め、A隊員は開錠技術習得へ走るんですが・・

それは、いずれまた後の機会で・・


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by A隊員の創業日記1

2013.2.6(水)雪のち雨
プロローグ

2013年の新企画をやろうと思います。
それは創業期2003年〜2006年頃の長編日記です。

この作業日記の中に、時々この創業日記を織り交ぜていきながら、
1年間かけてじっくり振り返ってみようと思います。

助人サービスは今年で10周年です。
これまで綿密に計画されて順風満帆・・という訳ではなかったですね。
全ては「勢い」で始めてしまった為に、手痛い思いをたくさんしました。
同時に「勢い」がなければ突破出来なかったこともあったように思います。
どこまで隠さず書いて良いのやらと悩ましい部分もありますが・・
せっかくの機会なので、ちょっと頑張って書いてみようと思います。

あくまでもA隊員の目線で書いていきます。
なので助人物語というよりは「A隊員の創業日記」ですね。
このタイトルで行きます。

いつもの作業日記は当たり障りなく爽やかに(本当か?)書いてますが、
この創業日記はちょっと踏み込んだ内容にしていこうと思っています。

コアなファン向けになりますが、乞うご期待!!


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